2015/07/07

Hospital for Special Surgery

順天堂大学整形外科米澤先生の紹介でアメリカのニューヨーク、マンハッタンにある整形外科に特化した病院、Hospital for Special Surgeryでの4週間の実習を終えました、洪雅敏です。
空港での異常な待ち時間の中投稿しております。

~実習に至るまで~
動きはじめたのは10月でしたが、事務方のOKが出ない等の問題があり、頓挫を繰り返していました。最終的にHospital for Special Surgery(以下HSS)への申し込みをしたのは2月も終わりに差し掛かった頃でした。先方のメールが来たらすぐ反応するといいと言われたので、早め早めの反応を心掛け、4月の中旬に正式に訪問出来ることが決まりました。
困ったのは宿泊場所。マンハッタンは世界でも有数の高級住宅街です。先方から紹介された提携宿泊施設はどれも高級ホテルみたいな値段や構えをしたところばかり。流石に無理なので歩いて30分程かかる位置にある休めのアパートを借りて過ごすことにしました。
勉強に関しては、馬場先生授業の単語と、自分が見たい分野の整形外科の勉強と整形外科の英単語帳を自分で作成してました。みんな言ってますが、自分が実習する分野の英単語をある程度理解しておくのは必須だと思います。

~実習開始~
マンハッタンには世界でも指折りの優秀な大学が集まっています。HSSの隣に病院を構えるコーネル大学、超有名なコロンビア大学、Scienceの最高峰の一つハンター大学などです。HSSは患者の満足度や感染の少なさ等、多岐に渡って全米の整形外科でもトップクラスの病院らしく、このような大学から研究や手術を見に来る人も少なくないようでした。実際、自分がお世話になるDr.Kimのもとにもう一人同じ期間で研究の分野で実習をしに来たタイ人のコロンビア大学の女の子がいました。
集合、挨拶後、Dr.Kimは手術に向かってしまったため、レジデントの方が案内をしてくれるはずだったのですが…
「君の実習は何をするの?プログラム知らないからどこに案内するか分からないよ」
はい、そうなんです。あるはずがありません。日本にあるような学生の予定表なんかありません。自分がしたいことを言って許可をもらって自分でスケジュールを組む、これが海外の流儀なんですねー。とりあえずオペが見たいです、と言ったらすんなりオペ室更衣室まで連れてってくれました。まあそこからオペ室に辿り着くまでが大変だったのですが…ここでは割愛します。とりあえず、英語が分かんないのは当たり前なので自分の希望をはっきり言えば、なんとかなります。外人は優しいですから。日本人は外人より声が小さいと思うので、海外に行ったら大きくはっきり声にするのを意識するのは意外と大事ですね。
①脊椎
Dr.Kimは脊椎の専門の先生だったので最初は脊椎のオペを見ていました。症例としては、側弯症、脊柱管狭窄症でした。そうです、Scoliosis,Spinal canal stenosis 馬場先生単語がいきなり登場。これ分からなかったら何やってるかすら分かんなかったですね汗
整形外科に特化してるだけあって1フロアに23もの手術室があるんですが、何より手術に関わる人が多い!術者、機械出し、外回り、技師、麻酔科などのラインナップは変わらないですが人数が多かった気がします。3月に海外に行って実習をした同期の経験談を参考に、初日から質問をぶっ放してました。普通の質問から、バカ丸出しの質問、昼飯どうしたらいいかとかいうどうでもいい質問まで医師、看護師、技師色んな人に勇気出して話しかけてました。アメリカの看護師さんは皆優しいです。一人でいるのは寂しいので、オペ室に早めに行って看護師さんと雑談してたりしてました。基本的にアメリカの人は「聞けば」「何でも」答えてくれます。逆に聞かなければ何も教えてくれません。何でもいいので気になったら聞いてみるのがいいですね。最初は自分の英語が通じず何度も聞き返されましたが、そのうち大丈夫になってきます。「え?何て?」と言われた時に狼狽えないで普通にもう一回言うのが大事でした。
外来は知っていた通り、オフィスに患者が来て部屋で待ち、医師がそこを訪れるという形式。
手術よりも声が聞こえやすく、医師との距離も近いのでここでも質問しまくってました。外来はだいぶリスニングの練習になりましたね。側弯症術後のリハビリで体幹トレーニングとしてスタビトレーニングを9分やれと言われた時の患者さんの顔忘れないですね笑
②関節
そうはいっても、期間は4週間。長い間脊椎だけみてても飽きると思い、2日目に関節の手術もみたいと希望を言ってみせてもらうことが出来ました。希望は早く言った方がいいです。日程の関係上、先生がいない場合もあるので見ることが出来ないなんてことも十分あり得ます。
紹介された先生は膝関節が専門のDr.Cross。この先生がなかなかナイスガイ。学生好きで、自分が聞かずとも色々教えたり聞いたりしてくれました。雰囲気も仕事は楽しくというモットーがあるらしくとっても良かった。そして看護師さんの一人に日本人がいました。なんたる幸運。言葉が通じるのがこれ程までに違うのかと痛感しました。
手術自体は日本との違いが沢山ありました。感染対策用にオペ室の中心部を透明なウィンドウで囲んだり、手術が1時間で終わったり、1日に7件オペしたり、コンピューターガイド下にTHAを行ったり…etc
外来は患者が他科よりも多かったですね。やはりhigh BMIな方達が多いのも関係しているようです。余談ですが、この日の外来の見学は自分だけでなく、ハンター大、コロンビア大からそれぞれ1人ずつ同じように見学しに来ていました。そして2人とも美女。これが苦行だった。優秀な2人を前に英語もあまり通じないまま下手な質問をかまして男としてのプライドはズタボロになりました。まあ帰り道一緒だったからいいや。笑
③小児
これも関節と同じタイミングで希望を言いました。
いわゆる学校や部活で怪我した場合の治療(靭帯断裂、外傷骨折、脱臼とかですね)や、先天的な疾患(筋ジストロフィー、骨形成不全、側弯症)まで多岐にわたっていました。驚くべきは入院日数。ACL断裂は手術したその日に帰れるらしいです。
紹介されたのはDr.Green。この人がまたお茶目な人で、挨拶が握手でなくウィンク。笑
気さくな先生で、外来診察中も話してくれたりしました。他科でもそうですが、診察に行く時に先生はいちいち学生呼んでくれません。先生が診察しに行きそうだったらすかさず後ろについて行って診察室に入りましょう。

~食事~
確実にデブになります。
ニューヨークはハンバーガー激戦区なので美味しいハンバーガー屋がたくさん。他にもステーキやらピザやら美味いものがたくさんあります。危険を感じた自分はジュースを禁じました。

~まとめ~
自分は大学ではなく病院での実習でしたので、学生と行動を共にするのはほとんどなかったです。その分色んな人に話しかけてました。アメリカの人は1度話しかければ、色んなことを教えてくれます。最初話しかけることが大きな一歩です。英語なんて言ってることがだいたい伝わればいいんですから大丈夫です。
それと、挨拶。これめちゃくちゃ大事だと思います。緊張したり英語が通じないことに引け目を感じるとどうしても自分の視線が下がってしまいます。そんな時こそ顔上げて目を合わせて「Hi!」と一言。そしたら向こうも「やあ!元気かい?調子どう?」なんて感じでだんだんその場がホームグラウンドのような感じがしてきますね。
使っている薬や術式にあまり差はありませんでしたが、やはり入院日数や手術時間の短さは際立つものがありました。
また、骨グラフトは自家だけでなく同種を大量に使っていること、貼り薬はなく皆鎮痛にはステロイド注射を用いていることも驚きでした。
日本と違うものなんて本当に沢山あったので、質問のネタは沢山転がっていました。
海外に行く前に先生に何か質問するクセをつけておくといいかもしれませんね。

最後に馬場先生を始め海外実習に関してお世話になった先生方、改めてありがとうございました。

2015/06/13

Hospital for Special Surgery

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2015/04/02

こんにちは。野村慧です。 
3 月 10 日~ 27 日の 3 週間、ボストンにある Harvard 大学の Brigham and Women's Hospital ( BWH )心臓血管科学研究所で実習をしました。 
僕の高校の OB であり、順天堂出身でもある眼科の猪俣先生に相談し、病院管理学の小林教授に、研究所を立ち上げた相川教授を紹介していただいて、上記の研究所で実習となりました。 
  
  
○準備 
9 月ごろから海外のどこに行くか考えました。が、先生方の連絡先を知ることが遅くなり、本格的な準備は 1 月からになってしまいました。自分はスムーズに準備ができたので、問題なかったのですが、ある友人はビザを取得するのに時間がかかり、地獄をみたようなので、はやめに準備することをおすすめします。 
この準備がとても大変で、 CV や健康診断書などの書類を用意したり、先生方や administrator との連絡、宿泊先、航空券の予約など、苦労しました。 CV は先輩に教えてもらい、猪俣先生に添削していただきました。健康診断書は総合診療科の松田先生に書いていただきました。 
あとは「地球の歩き方」を買って、ボストンで何しようか、何食べようか考えてました。 
ボストンに滞在してる人の blog とか見るのも、参考になりました。 
  
  
○出発~到着 
3 月 9 日に出発し、 3 月 30 日に日本に到着しました。 
成田→シカゴ→ボストンと乗り継ぎましたが、行きも帰りも出発が遅れ、特に帰りはボストン発の飛行機が 2 時間遅れ、あやうくシカゴ発の飛行機に乗り遅れそうになりました。 
直行便より安いですけど、リスクは大きいことを感じさせられました。 
また、勘違いで ESTA の取得をしておらず、出発 1 時間前にとることになりました。ビザや書類の確認は念入りにしたほうがいいです。 
  
  
○ボストン 
アメリカの東海岸、マサチューセッツ州(ニューヨークより北)にあり、緯度は北海道くらいです。そのため、 3 月も寒く、今年はボストン観測史上最大の降雪量だったらしいです。 
ボストンはアカデミックな街で日本でいう文京区みたいな感じで治安がいいです。 Harvard 大学が東京大学、 MIT が東京医科歯科大学、 Boston 大学が順天堂大学みたいなイメージでした。 
  
  
○実習 
BWH があるロングウッド・メディカル・エリアは、多くの病院が集まっていて、お互いが切磋琢磨しています。順天堂と医科歯科が競い合ってるみたいな感じです。 
研究室は 40 人近くいて、 BWH の中でも大きなラボでした。 
実習は基本、スケジュールがなく自由に行動しました。ラボに来る時間や帰る時間、何を見学するかも自分で決めます。自分は 9 ~ 10 時にラボに行き、研究や実験を見たり、手伝ったりしました。マウスの解剖や細胞採取、 transfection 、 PCR 解析、 ELISA 、プラスミドの精製など、研究者の方々が優しく教えていただいたため楽しく勉強できました。 
ただ、スケジュールがないため、自分の行動力しだいで、1日何もない実習にも充実した実習にもできます。最初、よくわからないこともあって受身の姿勢で研究者に話しかけにいかなかったため、暇でした。 
また、実験など見てるときも自分から研究者に質問しにいかないと何も得られません。「 1 つ説明したことに対して 3 つ質問を用意する」のが海外で頭いい人がすることだそうです。質問しない人は、頭が悪い人か興味がない人とみなされるようです。 
あとは、英語の問題がありました。日常英会話ですら、なかなか聞き取れないのに、専門用語が多く( PARP-9 antibody など)大変でした。けれども馬場先生のクラスでやった英単語がちょくちょく出て、覚えてよかったなと思いました。 
一応、英語は勉強していましたが、もう少し出来れば、特に Listening が出来れば、質問とかももっとできたなと思いました。 Speaking は単語羅列でもなんとか通じるが、 Listening は全然ダメだった。 
  
  
○生活 
宿泊先は、 T おばさんの家という日本人がオーナーの宿舎に泊まりました。 2 日間だけ安いホステルにも泊まりましたが、なかなか夜はぐっすり寝れず、結果的には、少々高くても一部屋に 1 人の宿で良かったです。 
食事は、ハンバーガーや BBQ など肉は旨かったが料理全般おいしくなかったです。食べログで言えば評価 2.5 ~ 3.0 です。ただ、 Yume Wo Katare という二郎系ラーメンはおすすめです。 3.6 はあげたい。 
また、ボストンでサッカーチームに入り、 Harvard 大学の人工芝グラウンドでアメリカ人や中国人などとサッカーをしたのは楽しかったです。サッカーは世界共通ですね。皆さんも日本にいるうちに現地の団体を調べ、参加することはとてもいい経験になると思います。 
あと、道端でしょっちゅう外人に話しかけられます。怪しい人には無視したほうがいいです。ぼられます。そのほかの人はすごいいい人です。道を教えてもらったり、いいレストランを教えてもらったり、できるだけ会話するようにすれば、英語に慣れるだけでなく、自分にいいことも教えてもらえます。 
夜や土日は、ボストンの有名なところ( Legal Seafood 、 Harvard 大学、 MIT 、 NBA 、チャールズ川)、ニューヨークに行ったりしました。ニューヨークまでは Amtrack に乗り、行き4時間、滞在時間6 時間、帰り4 時間とハードでしたが、歩きと地下鉄を駆使して国連、セントラルパーク、自由の女神、タイムズスクエアを見れ、満足できました。 
  
  
○日常で思ったこと 
アメリカの東海岸では歩行者は神。赤信号=積極的に渡れ 
小雨で傘はささない( 95 %さしてない) 
チップあげた瞬間、冷たくなる。いわゆるデレツン 
走ってる人が多い 
25 セント硬貨が大事 
  
  
○最後に 
日本ではコネクションというと、ネガティブなイメージが強いですが、海外では、逆です。コネクションをつなげていくことで、自分をレベルアップできる環境が作れ、仲間が増えます。相川教授には「縁を大切に」と教えていただき、今回の海外実習を経験して心に深く刻みました。 
海外実習に関わっていただいた先生方、先輩、友人そして家族にはとても感謝しています。いろいろと時間もとられ苦労はしましたが、それ以上の価値がありました。 
  
  
○写真 
Brigham and Women's Hospital 
NBA の試合 
ニューヨーク(タイムズスクエア) 
サッカーの試合 at Cumnock Field, HarvardUniversity 
相川教授とラボにて 

2015/03/30

Bologna University

Bologna University
イタリアのボローニャ大学の整形外科で二週間実習させていただきました。桃井康雅です。
滞在していた施設ではWi-Fiがなく、帰国してからの報告となりました。(帰りはサッカー日本代表海外組と共に帰国。ラッキー!!)

まず実習の準備として、
勉強面では馬場先生の授業の復習と整形外科の復習。自主的に用意した中で良かった物は、名刺。日本人の名前は一回で覚えてもらえることは少ないように感じるし、ドクター達とメールでのやりとりも出来るようになり、便利です!!!
整形外科という事もあり、授業でやった内科的な事はあまり使いませんでした。しかし、色々と質問はされました。日本での術式はどうなんだ?日本の◯◯教授は知ってるか?など学生にはシンドイ質問を多くされました。オペが中心だったので、結局簡単な英語の教科書をKindleに入れて読むことになりました。

1日の大まか流れは、7:30から大体19:00くらいまでオペ。興味のあるオペに自由に入っていいとの事だった。2日目ぐらいまでは様子見で大人しくしていたが、自分からアクションを起こさないと全くかまってもらえません。そこで、一つのオペにつき一つの質問を目標に、質問を考えていきました。
すると段々存在が認められ始め、オペ中に教授を始め色々と教えてくれるようになりました。楽しくなってきたなーと思ったら帰国になってしまいましたが。。。。

日本人は誰もいなかったため、最初の数日は孤独死しそうで、寂しさを紛らわそうとピザとパスタを食いまくっていました。ボローニャは美食の街だけあって食べ物は美味い!!でも一人だとやっぱり寂しい。。。
二週間のうち何回かは、ボローニャで出来たイタリア人の友人や先生にご飯を連れて行ってもらい一生の思い出になりました。

回診はあまりありませんでしたが、積極的に質問していきました。
リハビリの施設なども積極的に見学させてもらい、街の外れにある施設にも遠征しました。イタリア人は1回仲良くなると、情が深くかなり面倒を見てくれるようになりました。僕のために見学の手配をしてくれ、見学先の施設でも繋がりができ、ロンドンでのFIFAの国際学会にに是非参加しくれと誘われました。

色々と書きたい事はありますが、イタリアで思ったことは「自らアクションを起こすことの大切さ」行動しないと何も始まりません。積極的に自分が出来ることをコツコツ行動に移しましょう!!

本当に行って良かったと思います。

2015/03/28

Children's Hospital at Westmeadでの実習(小笠大起)part3

前回分がシドニー空港で徹夜していたときに書いたものなので色々とめちゃくちゃですみません。


3月18日
今日は医局に7時に集合して外科カンファレンスを行った後、移動して放射線科のカンファレンスに参加した。
午後は僕の面倒を一番見てくださっている若手のDr.Michaelの外来見学をした。
オーストラリアでは医学部を卒業した後日本と同じようにregidentとして働き、各科で専門医の資格を取得するわけだが、その人たちのことをregisterと呼ぶ。
Michaelはregisterだった。(ちなみにMichaelは4年前に僕とは逆で順天堂に1週間留学した経験を持つため、順天堂のことをよく知っている。)
そして今日はもう一人僕と一緒に外来を見学する少年がいた。
実はこの少年はこの病院で勤務するDr.Soundapannのご子息であり、学校の職業体験で自分のお父さんの働く病院を選択したとのことだった。
もちろん将来の夢は医者で、シドニーで一番優秀な高校に通っているらしい。
Michaelはこの少年がGo(宮野剛先生)に似てるだろと言ってきたが確かに似ている。
3人で楽しく話しながら外来を進めていった。
circumsicionという言葉を聞いたことがなかったのだが、15歳の少年に教えてもらった。
いわゆる割礼のことなのであるが、そうであると理解するのにかなり時間がかかった。
その説明を受ける中で陰茎のことをピーナッツと言っているのだが、僕にはなかなかピーナッツから連想することができず、しびれを切らしたMichaelがちんちんと普通に言った。
外国人は変な日本語を覚えたがるものである。
さらにMichaelはtestisはなんて言うのか聞いてきたので、金玉で、意味はgolden ballだと教えるとめちゃくちゃ喜んでいた。
話は戻るがcircumsicionは日本ではなかなか馴染みのない習慣であるが、アメリカでは一般的であり、オーストラリアでは、尿管の逆流があったり、尿路感染を頻回に起こすような子供に対しては感染予防のために積極的に手術を勧めている。
Michael曰く、アメリカでcircumsicionが多く行われる理由は医者の金稼ぎのためらしい。
なんと日本人の患者がきた。
シドニーが好きになり、永住しているという。
僕が日本語でこんにちはと挨拶をするととても驚いていた。
僕自身、病院で初めて日本語で会話し、つかの間の安らぎを覚えた。
この子も尿路感染で、circumsicionを勧められていたが、やはり日本人の親にはなかなか決断を踏み切るのが難しいようだった。

3月19日
朝はカンファレンス。
その後日帰り手術を見学した。
inguinal hernia
epigastric hernia
undescended testicleに対してorchidopexy(睾丸固定術)
umbilical hernia
の4件であった。
やはり専門用語は覚えていかないとなかなか苦労する。
馬場先生の英単語の他に、自分が実習する専門分野のメジャーな単語はある程度覚えていったほうが良いと思った。
その後Danny先生というTraumaや熱傷分野の教授の外来を見学し、なんと奥さんの妹さんが現在日本で暮らしている中国出身の方であり、ちょうど今家にきているからとのことで、来週の水曜日にご自宅でのお食事に招待してくださった。

3月20日
朝はカンファレンスの後回診に付いて行き、その後はまた日帰り手術。
circumsicion、left inguinal hernia、left inguinal herniaの3件を見学した。
オーストラリアでは症例が多く集まることもあり、若手がガンガン第一執刀医として手術の腕を磨いていた。
午後はurology meeting、その後先週の金曜日と同じく、Dr.Shunによる鑑別診断祭だった。
先週よりは早い言葉のやり取りに少しついていけたし、内容もかなり理解できて勉強になった。
明日は先週トラトラで予約したワイナリーツアーであるが、central駅近くのユースホステルに朝7時半集合と朝が早かったので、前泊したいと考えていた。
しかし、シドニーの宿はどこも高い。
24時間空いていて朝まで過ごせる場所、それはカジノしかなかった。
ということで今回の旅2度目のカジノへと向かった。

3月21日
僕はルーレットやブラックジャックなど勝率が約二分の一となるゲームで小金を稼ぐのが得意だったが、今回はやったことのないゲームに挑戦しようと思った。
目をつけたのはルーレットが観覧車のように垂直に立てられていて、1、3、5、11、23、47の中から出る数字を予想するという簡単なものだった。
数字が小さいほど出る確率は高い。
5分で40ドルを失った。
得意の小金稼ぎに戻る。
2時間かけて40ドルを取り戻し、その後は当たりが続いて結局130ドル勝ち越した。
そろそろ眠くなってきたことと、カジノにいたらまたさらに掛けて痛い目を見そうなので、だいぶ時間はあるが集合場所のユースホステルまでとりあえず行ってみて、その周りで寝れそうな場所を探そうと思った。
しかし、夜のcentral駅周辺にはマクドナルドのような24時間やっていて安全に寝れそうな場所は全くなく、唯一見つけたケンタッキーは、食い散らかされたチキンの骨が店内中に散乱し、不良の溜まり場となっている始末。
結局ユースホステルの入口前にあるベンチで、リュックを抱きかかえながら寝ることになった。
さすがのシドニーも夜は長袖一枚では寒い。
寒さと恐怖に耐えながら時間を待つこと4時間。
もうシドニーでの野宿はやめようと心に誓った。
案の定、ツアーバスの中では爆睡し、せっかくのバスガイドのワイナリー説明も全く聞かずじまいだった
ワイナリーに着くとワインの説明が始まり、そのワインを一杯ずつ試飲させてもらえる。
ワインのことは全くわからないが、飲みやすくて美味しいワインが多く、最初のワイナリーを出る頃にはかなり顔が赤くなっていた。
隣に座っていたアメリカ人にもう酔ってんのかと笑われたが日本人はみんなこんなもんと言っておいた。
それにしても一人で来ているのは僕くらいで皆何人かのグループである。
ひとりでワイナリーツアーも悪くなかったが、喋らなければもったいないので、三人組のフィリピン人のグループに声をかけて、一緒に回らせてもらった。
二軒目のワイナリーで僕の限界が近づいていることを悟り、三軒目はもはや意地であった。
それにしてもトータルでかなりの量を飲まされるのでお酒好きな人には相当楽しいツアーだろうと思った。
ベロベロになりながらバスを降り、病院のhostelに戻った。
お世話になった国際交流センターの方や秘書さんと、Danny先生のご自宅へ伺う時の手土産にワインを買っていった。

3月22日
この日は色んな人にお土産を買うために街を歩いた。
特に山高教授へのお土産は非常に悩んだが、ロックスというお洒落なバーやレストラン、職人さんの出店などが建ち並ぶ場所で、おそらく外科懇親会に出席した人なら分かるであろう、スーパーソルジャーに出逢ったので即決した。
親と妹にはオーストラリア製のアグブーツを頼まれていたので評判の良い店を探してから行き、目当てのものを見つけたのだが、店員がキャッシュなら10ドル安くなるとセコいことを言ってくる。
さすがにオーストラリアだけあって島国根性を理解している。
僕はキャッシュを使ったが、残されたキャッシュは15ドルほどになってしまった。
どこかで日本円を換金しようと思ったが日曜なので調べた店はことごとくやっていない。
結局三回目のカジノへと向かう羽目になった。
一万円を換金して約100ドル受け取り、そのまま帰ればよかった。
すこしだけ掛けてみようと思ったのが泥沼にはまり、55ドル負けて泣く泣くカジノを後にした。
貧乏生活が始まった。

続く

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2015/03/27

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3月14日
遅めに起きた土曜日はとにかくシドニーの街が何一つわからないのでとりあえず日本人のいる旅行代理店に行ってみることにした。
ネットで探し、見つけた店の名はTravel & Travel、通称トラトラだ。最寄りのTownhall駅までは約30分。
電車に乗る前にネパール人ラジスから必ず買っておけと言われていたオパールカードを売店で購入した。
日本で言うPASMOみたいなものだが、 1日利用額が15ドルを越えたらそれ以降0ドル、日曜日に関してはそのリミットが2.5ドルまで下がる。
さらに一週間の利用回数が8回以上の場合、それ以降の利用も課金されないといったスーパーなカードだ。(のちに紛失し、このカウントはゼロに戻る)
トラトラに着くとワーホリで来ているという気前の良い日本人の店員が親身に相談に乗ってくれた。
来週の土曜日にハンターバレーという場所で行われるワイナリーツアーに申し込んだ。
日本語と英語のツアーがあり、もちろん英語を選んだ。
店員から聞いたアドバイスを頭に入れ、とりあえずシドニーの街を歩いてみることにした。
観光客が多く集まるGeorge Streetをひたすら海に向かって歩き、とうとうかの有名なオペラハウスを見つけた。
今回のシドニーでの滞在に際して自分に課したテーマは
Don't be shy.
どんなに恥をかいたっていい、そんな気持ちで臨んでいた。
街ではなるべく外人に声を掛けることを目標にしていた。
そうでなければ、これはただの観光である。
アボリジニみたいな格好をしたおじさんと写真を撮ったり、おばさんに写真を撮ってもらってりした。
次に向かったのはオーストラリアで初めてトップレスが認められたことで有名なボンダイビーチ。
本当にトップレスのお姉さんなどいるのだろうか。
結論だけ言えばYesである。
一通りビーチを練り歩き、途中中国人に話しかけ、英会話をするうちにそろそろ孤独に飽きてきたので今度は日本人を探してみることにした。
しかし、日本人は全くいない。シドニーは日本人が多いと勝手に思っていたが、そうではないようだった。
ようやく日本人を見つけたが、男1人、女2人のグループ。
並大抵のコミュ力ではこの中に一人で入っていくのは不可能だろう。
ただし今回のテーマはDon't be shy. である。
突撃した。
話しかけると寛大にも快く僕を受け入れてくれ、意気投合し、そのまま四人でシドニーを観光することになった。
本日二度目のオペラハウスを始め、港の周りをぶらぶら歩いた後、解散。
僕はまた一人になり、今度はダーリングハーバーに向かった。
日はすっかり暮れ、現れた景色は絶景であった。
そして僕は地球上にこれほどイカれた場所があることを知らなかった。
港の周りにはバーが立ち並び、爆音が流れている。
中では若者が踊り狂い、ネオンと入り混じり煌々とした雰囲気を醸し出している。
海との距離は15メートルほどで柵も何もない。
確実に酔っ払いが落ちるシステムである。
ここにはいつか友達を連れてもう一度来たいと思った。
最後に暇そうな韓国人を捕まえて英会話を楽しんだ。
皆、話してみると良い奴ばかりで、国や文化の壁は全く感じなかった。

3月15日
日曜日も遅めの起床。
時刻は9時を回っていた。
オーストラリアと言えば動物と思い、今日はタロンガズーに行ってみることにした。
帰りはフェリーで中心地まで戻り、そこからカジノのあるThe Starへ向かった。
3時間ぐらい遊んで天国も地獄も経験し、最終的に5ドル勝ちというなんともしょうもない結果であった。
明日は早いので早めに帰って寝た。

3月16日
本日からいよいよ本格的に実習スタートである。
7時半に医局に集合し、カンファレンスが始まる。
それが終わると回診、日本と同じような流れである。
今日は一日中オペで、1件目hidronephrosis、2件目branchial remnant摘出、3件目みみのvariant形成術、4件目左腎のpyeloplastyと多岐にわたる手術を観察できた。
小児外科の醍醐味とも言える、全身あらゆる分野の手術を早速経験でき、非常に濃い1日だったと腰を下ろしそうになったその時、Dr.Thomasが嬉しそうに僕のところへやってきて、
緊急手術が入った。肝移植だ。夜の9時から始めるから終わるのは朝の9時だ。来るか?
Yes!と即答した。
今まで見たこともない肝移植がいきなり見れるとは。さらに深夜の手術というシチュエーションにもなぜか興奮した。
現在の時刻は夕方6時。
9時まで休んで来いと言われたのでhostelに戻ったが、全く眠れなかった。
運ばれてきた患者は11歳の女の子。全身黄疸がひどい。
原疾患は何か聞くとアラジア的なことを言っているが全くわからないので書いてもらったらAlagille症候群だった。アラジール。正直知らなかった。
染色体異常が原因と考えられていて、特異的な願望、眼症状、脊椎の変形、心疾患などを併発するがこの子はpulmonary stenosisも認めるそうだった。

3月17日
気づいたら12時を過ぎ、1時、2時と時間が経っていく。
ドナーは大人の右葉だが、この子にとってはそれでも大きい。
あまりに大きいと肝臓自身が静脈を圧迫してしまうため、術後に血流障害が起こる。
肝臓の断端を止血するには相当な時間がかかり、手術室で再びリモデリングする時間はない。
そんなときにどうするかの答えをDr.Shunは昔とっさに思いついたそうだ。
ピンポン玉を入れるのである。
ピンポン玉を支えにして静脈の圧迫を防ぐ。
この手術はオーストラリアのみならず、英国などでも新聞の記事になっている。
今回もそれが見れるかと思いきや、なくても大丈夫なようだった。
午前8時頃にあとは閉じるだけだから寝て来いと帰され、今日については好きにしていいから疲れてたらまた明日会おう。と言われた。
とりあえず午前は寝て、午後から行くことにしようと思った。
午後1時半頃に再び手術室に向かうと、Dr.Shunがまた大掛かりな手術を行っているところだった。
かの有名な葛西手術である。
二日続けて何故これほど大きな手術に遭遇できるのだろうか。
その答えはオーストラリアの医療システムにあった。
オーストラリアではGPという家庭医がいて、まずは必ずそこにかかる。
その後家庭医の判断で各病院へとしょうかいされるのだが、専門病院の規模が大きくかつ数が少ないから、ひとつの病院に多くの症例が集まるのだった。
ちなみにシドニーにこども病院は2つしかなく、前回も書いた通り、ここにはオーストラリアの全小児外科医80人のうち、20人が在籍しているのである。
午後6時頃手術が終わると同時に僕の1日も終わった。
まだ本格的に実習を始めてから2日しか経っていないということが信じられず、苦労してオーストラリアまで来て良かったと心から思った。

続く

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2015/03/26




海外ポリクリ2015 授業 Photo   subject:  Neurology





2015/03/25

Children's Hospital at Westmeadでの実習(小笠 大起)

小笠大起です。
小児外科山高篤行教授のご紹介でChildren's Hospital at Westmeadという病院に来ています。
この病院はシドニーで一番大きな子供病院で、オーストラリアには小児外科医は80人いるそうなのですが20人がこの病院で働いています。
つまり僕はオーストラリアの小児外科医の4分の1の少なくとも顔は知ってしまっています。
またここはSydney大学の関連病院であり、Sydney大学の学生も実習に来ています。
僕にとっての実習の記録にしたいので日記調でだらだらと稚拙な文章を書いていきます。

2015年
3月12日
ついにこの日がやってきた!
出発前の数週間は本当に長く地獄のような日々であった。
多くの人に助けられ、色んな人に迷惑をかけ、やっとここまで来ることができた。
新鮮すぎて不思議な気持ちに駆られつつ、僕は空港に向かった。足取りは軽かった。
向こうの先生方への手土産を空港で買い、いざ搭乗。
いきなり悲劇が訪れた。
僕が選んだ航空会社は格安航空jetstarであり、そもそも期待はしていなかったが、隣のオーストラリア人が絵に描いたようなクズ。
まず太りすぎていて僕の座るスペースがない。
出港前からビールを飲んでいる。(アルコールの機内への持ち込みは禁止である。)
結局8缶ぐらいは空けていた。
飴を食いまくっている上、ゴミを普通に床に捨てる。
自分の中でオーストラリア人の評価が下がりつつ、悪夢のフライトを終え、なんとかシドニー空港に降り立った。
いつの間にか日付は変わっていた。

3月13日
空港から病院のある駅Westmeadまで向かう。シドニーの中心地Central駅から30分ほどの距離である。
ここで日本からあらかじめ持ってきた海外で使えるWi-fiが絶大な働きを見せ、最短距離で最寄り駅まで到着する。
しかしこの瞬間突然緊張感に襲われた。そいえば、挨拶とか何も考えていなかった。
病院までの道を歩きながらたまに写真を撮りつつ、挨拶文を考え、とりあえず、
I'm Taiki Ogasa from Juntendo University in Japan! I don't like sushi, I like meat, Aussie beef!!
に決めた。
病院につき受付で名を名乗ると、もともと連絡を取っていた担当の方が迎えに来てくれた。
彼女が僕の宿泊施設まで案内してくださり、(病院内の学生用hostelで$100per 1weekである。格安。)荷物を置いた後、簡単に病院内の施設を紹介していただいた。
そしてついに先生方と対面する時が来た。
Nice to meet you! My name is Taiki from Juntendo. Thank you! Thank you!
せっかく考えた挨拶文は使う間もなかった。
早速カンファレンスルームに座らされ、始まったのは鑑別診断祭。
なんでも知ってて手術もうまいChildren's Hospitalのmaster Yodaと僕が勝手に思っているDr.Shunがバンバン画像を出していき、若手の先生方が鑑別疾患を挙げていく。
ビックリするほど英語がわからない。
Pneumothoraxという単語が出てきて馬場先生の授業を受けていて良かったと思った。
画像は肉眼写真であったりX線であったり様々で、鑑別疾患を挙げ、そこから診断を絞っていくには次にどういった手技や検査が必要か、を議論していくこと3時間。
ほとんど聞き取れなかったが頭を働かせ続けたので非常に疲れていた。
レクチャーが終わると先生方が挨拶に来てくださり、色々と話した。
今回僕の実習を受け入れてくださった山高先生の20年来のご友人であるRalph Cohen教授は青リンゴを丸かじりしている。当然ながらかけられている眼鏡はRalph Laurenである。
山高先生のような豪快さを感じた。
この病院には昔宮野武名誉教授もいらしたことがあるそうで、壁には若かりし頃の宮野教授の写真が飾られていた。
次にGordon Thomas先生という、機関車のような名前の先生が親切にこれからの予定を教えてくださった。
月曜までに予定表を作ってあげるから、自分の好きなところで好きに見学していいと言われた。
やっとオーストラリアに来たのだという実感が湧いてきた。
hostelに戻り、一通り生活を始める準備をし、共スペのような場所があったので行ってみると他の住人がいた。
そこでネパールから来ているというラジスに出会い、シドニーのことを色々教えてもらった。
そう言えば、週末の観光の予定など何も立てていなかった。
ラジスからもらった有益な情報を元に日本から持参した地球の歩き方を読みながら、床に就いた。
旅の疲れもあってかいつの間にか深い眠りに就いていた。

続く