2015/03/27

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3月14日
遅めに起きた土曜日はとにかくシドニーの街が何一つわからないのでとりあえず日本人のいる旅行代理店に行ってみることにした。
ネットで探し、見つけた店の名はTravel & Travel、通称トラトラだ。最寄りのTownhall駅までは約30分。
電車に乗る前にネパール人ラジスから必ず買っておけと言われていたオパールカードを売店で購入した。
日本で言うPASMOみたいなものだが、 1日利用額が15ドルを越えたらそれ以降0ドル、日曜日に関してはそのリミットが2.5ドルまで下がる。
さらに一週間の利用回数が8回以上の場合、それ以降の利用も課金されないといったスーパーなカードだ。(のちに紛失し、このカウントはゼロに戻る)
トラトラに着くとワーホリで来ているという気前の良い日本人の店員が親身に相談に乗ってくれた。
来週の土曜日にハンターバレーという場所で行われるワイナリーツアーに申し込んだ。
日本語と英語のツアーがあり、もちろん英語を選んだ。
店員から聞いたアドバイスを頭に入れ、とりあえずシドニーの街を歩いてみることにした。
観光客が多く集まるGeorge Streetをひたすら海に向かって歩き、とうとうかの有名なオペラハウスを見つけた。
今回のシドニーでの滞在に際して自分に課したテーマは
Don't be shy.
どんなに恥をかいたっていい、そんな気持ちで臨んでいた。
街ではなるべく外人に声を掛けることを目標にしていた。
そうでなければ、これはただの観光である。
アボリジニみたいな格好をしたおじさんと写真を撮ったり、おばさんに写真を撮ってもらってりした。
次に向かったのはオーストラリアで初めてトップレスが認められたことで有名なボンダイビーチ。
本当にトップレスのお姉さんなどいるのだろうか。
結論だけ言えばYesである。
一通りビーチを練り歩き、途中中国人に話しかけ、英会話をするうちにそろそろ孤独に飽きてきたので今度は日本人を探してみることにした。
しかし、日本人は全くいない。シドニーは日本人が多いと勝手に思っていたが、そうではないようだった。
ようやく日本人を見つけたが、男1人、女2人のグループ。
並大抵のコミュ力ではこの中に一人で入っていくのは不可能だろう。
ただし今回のテーマはDon't be shy. である。
突撃した。
話しかけると寛大にも快く僕を受け入れてくれ、意気投合し、そのまま四人でシドニーを観光することになった。
本日二度目のオペラハウスを始め、港の周りをぶらぶら歩いた後、解散。
僕はまた一人になり、今度はダーリングハーバーに向かった。
日はすっかり暮れ、現れた景色は絶景であった。
そして僕は地球上にこれほどイカれた場所があることを知らなかった。
港の周りにはバーが立ち並び、爆音が流れている。
中では若者が踊り狂い、ネオンと入り混じり煌々とした雰囲気を醸し出している。
海との距離は15メートルほどで柵も何もない。
確実に酔っ払いが落ちるシステムである。
ここにはいつか友達を連れてもう一度来たいと思った。
最後に暇そうな韓国人を捕まえて英会話を楽しんだ。
皆、話してみると良い奴ばかりで、国や文化の壁は全く感じなかった。

3月15日
日曜日も遅めの起床。
時刻は9時を回っていた。
オーストラリアと言えば動物と思い、今日はタロンガズーに行ってみることにした。
帰りはフェリーで中心地まで戻り、そこからカジノのあるThe Starへ向かった。
3時間ぐらい遊んで天国も地獄も経験し、最終的に5ドル勝ちというなんともしょうもない結果であった。
明日は早いので早めに帰って寝た。

3月16日
本日からいよいよ本格的に実習スタートである。
7時半に医局に集合し、カンファレンスが始まる。
それが終わると回診、日本と同じような流れである。
今日は一日中オペで、1件目hidronephrosis、2件目branchial remnant摘出、3件目みみのvariant形成術、4件目左腎のpyeloplastyと多岐にわたる手術を観察できた。
小児外科の醍醐味とも言える、全身あらゆる分野の手術を早速経験でき、非常に濃い1日だったと腰を下ろしそうになったその時、Dr.Thomasが嬉しそうに僕のところへやってきて、
緊急手術が入った。肝移植だ。夜の9時から始めるから終わるのは朝の9時だ。来るか?
Yes!と即答した。
今まで見たこともない肝移植がいきなり見れるとは。さらに深夜の手術というシチュエーションにもなぜか興奮した。
現在の時刻は夕方6時。
9時まで休んで来いと言われたのでhostelに戻ったが、全く眠れなかった。
運ばれてきた患者は11歳の女の子。全身黄疸がひどい。
原疾患は何か聞くとアラジア的なことを言っているが全くわからないので書いてもらったらAlagille症候群だった。アラジール。正直知らなかった。
染色体異常が原因と考えられていて、特異的な願望、眼症状、脊椎の変形、心疾患などを併発するがこの子はpulmonary stenosisも認めるそうだった。

3月17日
気づいたら12時を過ぎ、1時、2時と時間が経っていく。
ドナーは大人の右葉だが、この子にとってはそれでも大きい。
あまりに大きいと肝臓自身が静脈を圧迫してしまうため、術後に血流障害が起こる。
肝臓の断端を止血するには相当な時間がかかり、手術室で再びリモデリングする時間はない。
そんなときにどうするかの答えをDr.Shunは昔とっさに思いついたそうだ。
ピンポン玉を入れるのである。
ピンポン玉を支えにして静脈の圧迫を防ぐ。
この手術はオーストラリアのみならず、英国などでも新聞の記事になっている。
今回もそれが見れるかと思いきや、なくても大丈夫なようだった。
午前8時頃にあとは閉じるだけだから寝て来いと帰され、今日については好きにしていいから疲れてたらまた明日会おう。と言われた。
とりあえず午前は寝て、午後から行くことにしようと思った。
午後1時半頃に再び手術室に向かうと、Dr.Shunがまた大掛かりな手術を行っているところだった。
かの有名な葛西手術である。
二日続けて何故これほど大きな手術に遭遇できるのだろうか。
その答えはオーストラリアの医療システムにあった。
オーストラリアではGPという家庭医がいて、まずは必ずそこにかかる。
その後家庭医の判断で各病院へとしょうかいされるのだが、専門病院の規模が大きくかつ数が少ないから、ひとつの病院に多くの症例が集まるのだった。
ちなみにシドニーにこども病院は2つしかなく、前回も書いた通り、ここにはオーストラリアの全小児外科医80人のうち、20人が在籍しているのである。
午後6時頃手術が終わると同時に僕の1日も終わった。
まだ本格的に実習を始めてから2日しか経っていないということが信じられず、苦労してオーストラリアまで来て良かったと心から思った。

続く

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