2015/03/28

Children's Hospital at Westmeadでの実習(小笠大起)part3

前回分がシドニー空港で徹夜していたときに書いたものなので色々とめちゃくちゃですみません。


3月18日
今日は医局に7時に集合して外科カンファレンスを行った後、移動して放射線科のカンファレンスに参加した。
午後は僕の面倒を一番見てくださっている若手のDr.Michaelの外来見学をした。
オーストラリアでは医学部を卒業した後日本と同じようにregidentとして働き、各科で専門医の資格を取得するわけだが、その人たちのことをregisterと呼ぶ。
Michaelはregisterだった。(ちなみにMichaelは4年前に僕とは逆で順天堂に1週間留学した経験を持つため、順天堂のことをよく知っている。)
そして今日はもう一人僕と一緒に外来を見学する少年がいた。
実はこの少年はこの病院で勤務するDr.Soundapannのご子息であり、学校の職業体験で自分のお父さんの働く病院を選択したとのことだった。
もちろん将来の夢は医者で、シドニーで一番優秀な高校に通っているらしい。
Michaelはこの少年がGo(宮野剛先生)に似てるだろと言ってきたが確かに似ている。
3人で楽しく話しながら外来を進めていった。
circumsicionという言葉を聞いたことがなかったのだが、15歳の少年に教えてもらった。
いわゆる割礼のことなのであるが、そうであると理解するのにかなり時間がかかった。
その説明を受ける中で陰茎のことをピーナッツと言っているのだが、僕にはなかなかピーナッツから連想することができず、しびれを切らしたMichaelがちんちんと普通に言った。
外国人は変な日本語を覚えたがるものである。
さらにMichaelはtestisはなんて言うのか聞いてきたので、金玉で、意味はgolden ballだと教えるとめちゃくちゃ喜んでいた。
話は戻るがcircumsicionは日本ではなかなか馴染みのない習慣であるが、アメリカでは一般的であり、オーストラリアでは、尿管の逆流があったり、尿路感染を頻回に起こすような子供に対しては感染予防のために積極的に手術を勧めている。
Michael曰く、アメリカでcircumsicionが多く行われる理由は医者の金稼ぎのためらしい。
なんと日本人の患者がきた。
シドニーが好きになり、永住しているという。
僕が日本語でこんにちはと挨拶をするととても驚いていた。
僕自身、病院で初めて日本語で会話し、つかの間の安らぎを覚えた。
この子も尿路感染で、circumsicionを勧められていたが、やはり日本人の親にはなかなか決断を踏み切るのが難しいようだった。

3月19日
朝はカンファレンス。
その後日帰り手術を見学した。
inguinal hernia
epigastric hernia
undescended testicleに対してorchidopexy(睾丸固定術)
umbilical hernia
の4件であった。
やはり専門用語は覚えていかないとなかなか苦労する。
馬場先生の英単語の他に、自分が実習する専門分野のメジャーな単語はある程度覚えていったほうが良いと思った。
その後Danny先生というTraumaや熱傷分野の教授の外来を見学し、なんと奥さんの妹さんが現在日本で暮らしている中国出身の方であり、ちょうど今家にきているからとのことで、来週の水曜日にご自宅でのお食事に招待してくださった。

3月20日
朝はカンファレンスの後回診に付いて行き、その後はまた日帰り手術。
circumsicion、left inguinal hernia、left inguinal herniaの3件を見学した。
オーストラリアでは症例が多く集まることもあり、若手がガンガン第一執刀医として手術の腕を磨いていた。
午後はurology meeting、その後先週の金曜日と同じく、Dr.Shunによる鑑別診断祭だった。
先週よりは早い言葉のやり取りに少しついていけたし、内容もかなり理解できて勉強になった。
明日は先週トラトラで予約したワイナリーツアーであるが、central駅近くのユースホステルに朝7時半集合と朝が早かったので、前泊したいと考えていた。
しかし、シドニーの宿はどこも高い。
24時間空いていて朝まで過ごせる場所、それはカジノしかなかった。
ということで今回の旅2度目のカジノへと向かった。

3月21日
僕はルーレットやブラックジャックなど勝率が約二分の一となるゲームで小金を稼ぐのが得意だったが、今回はやったことのないゲームに挑戦しようと思った。
目をつけたのはルーレットが観覧車のように垂直に立てられていて、1、3、5、11、23、47の中から出る数字を予想するという簡単なものだった。
数字が小さいほど出る確率は高い。
5分で40ドルを失った。
得意の小金稼ぎに戻る。
2時間かけて40ドルを取り戻し、その後は当たりが続いて結局130ドル勝ち越した。
そろそろ眠くなってきたことと、カジノにいたらまたさらに掛けて痛い目を見そうなので、だいぶ時間はあるが集合場所のユースホステルまでとりあえず行ってみて、その周りで寝れそうな場所を探そうと思った。
しかし、夜のcentral駅周辺にはマクドナルドのような24時間やっていて安全に寝れそうな場所は全くなく、唯一見つけたケンタッキーは、食い散らかされたチキンの骨が店内中に散乱し、不良の溜まり場となっている始末。
結局ユースホステルの入口前にあるベンチで、リュックを抱きかかえながら寝ることになった。
さすがのシドニーも夜は長袖一枚では寒い。
寒さと恐怖に耐えながら時間を待つこと4時間。
もうシドニーでの野宿はやめようと心に誓った。
案の定、ツアーバスの中では爆睡し、せっかくのバスガイドのワイナリー説明も全く聞かずじまいだった
ワイナリーに着くとワインの説明が始まり、そのワインを一杯ずつ試飲させてもらえる。
ワインのことは全くわからないが、飲みやすくて美味しいワインが多く、最初のワイナリーを出る頃にはかなり顔が赤くなっていた。
隣に座っていたアメリカ人にもう酔ってんのかと笑われたが日本人はみんなこんなもんと言っておいた。
それにしても一人で来ているのは僕くらいで皆何人かのグループである。
ひとりでワイナリーツアーも悪くなかったが、喋らなければもったいないので、三人組のフィリピン人のグループに声をかけて、一緒に回らせてもらった。
二軒目のワイナリーで僕の限界が近づいていることを悟り、三軒目はもはや意地であった。
それにしてもトータルでかなりの量を飲まされるのでお酒好きな人には相当楽しいツアーだろうと思った。
ベロベロになりながらバスを降り、病院のhostelに戻った。
お世話になった国際交流センターの方や秘書さんと、Danny先生のご自宅へ伺う時の手土産にワインを買っていった。

3月22日
この日は色んな人にお土産を買うために街を歩いた。
特に山高教授へのお土産は非常に悩んだが、ロックスというお洒落なバーやレストラン、職人さんの出店などが建ち並ぶ場所で、おそらく外科懇親会に出席した人なら分かるであろう、スーパーソルジャーに出逢ったので即決した。
親と妹にはオーストラリア製のアグブーツを頼まれていたので評判の良い店を探してから行き、目当てのものを見つけたのだが、店員がキャッシュなら10ドル安くなるとセコいことを言ってくる。
さすがにオーストラリアだけあって島国根性を理解している。
僕はキャッシュを使ったが、残されたキャッシュは15ドルほどになってしまった。
どこかで日本円を換金しようと思ったが日曜なので調べた店はことごとくやっていない。
結局三回目のカジノへと向かう羽目になった。
一万円を換金して約100ドル受け取り、そのまま帰ればよかった。
すこしだけ掛けてみようと思ったのが泥沼にはまり、55ドル負けて泣く泣くカジノを後にした。
貧乏生活が始まった。

続く

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